三回忌 [日記]
早いもので、父親が亡くなってもう3年も経った。
後に残った母親の生活のことやら、その後の癌発病、手術、直ったと思ったら階段から落ちて骨折と、何かとバタバタとあり、その度に、嫁に行った妹夫婦が色々面倒見てくれる。
なんせ、こちらは神奈川在住で、どうがんばっても大阪までは直ぐに飛んでいくことはできない。
今回も、予算の都合と、実家で車の置き場所が無いことから、夜行高速バスを利用し、約9時間かけて帰省した。
初めて高速バスを利用したが、やはり楽ではない。
休憩の自由はないし、狭いシートからほぼ動けない。
早朝、難波に到着したときはさすがにぐったりしてしまった。
当然、現地での足も妹の車に頼らざるを
えない状態であり、
申し訳ないと思いながらも妹には世話になりっぱなしである。
そんな色々なことがあったが、無事というか、なんと言うか、三回忌の準備も完了しており、また、ようやく墓の準備も出来納骨も同時に出来る運びになった。
葬式と違い、法事は事前に日取りを決め連絡できるから、親戚にも来て貰いやすい。
もうこの歳になると、親戚が一同に介するのはこういう法事ぐらいしかなくなったのも
寂しい感じではあるが。
ただ、親戚もいつもたくさん集まってくれ、盛大とまでは言わないが、
にぎやかに行えるので、お坊さんにはいつも
『良いことですね』
と褒められる。
今回のお墓の墓標も、『ありがとう』と彫ってあるのだが、当日まで知らなかった。
妹に、
「墓標に、ありがとうって、ありなん?」
と聞いたら、
「そやなぁ、どうなんやろ」
と、お互いちょっとまずいんではないかと、思っていたが、納骨式のあと、お坊さんから、この墓標に感動したと、非常に褒められた。
何事にも礼と感謝を持って生きることはすばらしいが、最近はそういう事、人、子供が少ないと・・・・
だから、この『ありがとう』という言葉はすばらしいと。
後で妹と納得したのは言うまでもない、というよりホッとした。
さて、法事も無事終わり、兄弟だけで母親の実家に帰宅したが、狭い部屋に3家族と久々にあった甥・姪(彼らはいとこ同士になるわけで)が当然、大騒ぎ。
明朝にはまたバスに乗って神奈川へ戻らないといけないのだが、ゆっくり出来たのは、22:00以降。
あっというまの帰省であった。
後に残った母親の生活のことやら、その後の癌発病、手術、直ったと思ったら階段から落ちて骨折と、何かとバタバタとあり、その度に、嫁に行った妹夫婦が色々面倒見てくれる。
なんせ、こちらは神奈川在住で、どうがんばっても大阪までは直ぐに飛んでいくことはできない。
今回も、予算の都合と、実家で車の置き場所が無いことから、夜行高速バスを利用し、約9時間かけて帰省した。
初めて高速バスを利用したが、やはり楽ではない。
休憩の自由はないし、狭いシートからほぼ動けない。
早朝、難波に到着したときはさすがにぐったりしてしまった。
当然、現地での足も妹の車に頼らざるを
えない状態であり、
申し訳ないと思いながらも妹には世話になりっぱなしである。
そんな色々なことがあったが、無事というか、なんと言うか、三回忌の準備も完了しており、また、ようやく墓の準備も出来納骨も同時に出来る運びになった。
葬式と違い、法事は事前に日取りを決め連絡できるから、親戚にも来て貰いやすい。
もうこの歳になると、親戚が一同に介するのはこういう法事ぐらいしかなくなったのも
寂しい感じではあるが。
ただ、親戚もいつもたくさん集まってくれ、盛大とまでは言わないが、
にぎやかに行えるので、お坊さんにはいつも
『良いことですね』
と褒められる。
今回のお墓の墓標も、『ありがとう』と彫ってあるのだが、当日まで知らなかった。
妹に、
「墓標に、ありがとうって、ありなん?」
と聞いたら、
「そやなぁ、どうなんやろ」
と、お互いちょっとまずいんではないかと、思っていたが、納骨式のあと、お坊さんから、この墓標に感動したと、非常に褒められた。
何事にも礼と感謝を持って生きることはすばらしいが、最近はそういう事、人、子供が少ないと・・・・
だから、この『ありがとう』という言葉はすばらしいと。
後で妹と納得したのは言うまでもない、というよりホッとした。
さて、法事も無事終わり、兄弟だけで母親の実家に帰宅したが、狭い部屋に3家族と久々にあった甥・姪(彼らはいとこ同士になるわけで)が当然、大騒ぎ。
明朝にはまたバスに乗って神奈川へ戻らないといけないのだが、ゆっくり出来たのは、22:00以降。
あっというまの帰省であった。
2007-08-28 17:24
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