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欧州 ドイツワイン編 [お仕事]

ドリコムの変更作業により更新が滞ってました、欧州シリーズですが

まだ何となく不具合が残ってそうですが、そろそろ続きをば。



なんせ、独車・・・じゃなく、読者に楽しみにしていると直接言われたので



ね!Kさん。



さて、ドイツ到着後、新しいフォーメーションで仕事をすることになった謎の東洋人

13名。

前回書いたように、本来、OPEL本社約3日→移動→ブレーメンハーベン

の予定でした。



しかし、OPEL本社に集まるはずの不具合車両が1台もない!



集まっていないというより行方不明になってるとのこと。



詳しく聞くと、売り車の予定で数台到着した初ロットの数台が、実は会社役員や開発の

上のほうの人間に貸し出され(たのか、ちょっと貸してよ!と権力を振りかざしたかは

不明)となり、全車私物化されていたのだそうだ。

しかも、それは管理もされておらず、誰が乗っていったのかも判らない。

この話を聞いたとき、なんて会社だ・・・とかなり呆れてしまいました。

挙句の果てには、1、2台既に事故を起こしたらしく板金屋にあるとも



しかし、不具合をだしたのはこちら側。修理する場所もお借りするわけですので、強くは

いえません。何とか車を集めてもらうよう、お願いし、その間、2班に分けて車が集まっている

ブレーメンハーベンの方も同時に片付けよう、ということになりました。



OPEL本社側には担当海外営業1名と作業者3名、残りの9名とドイツ駐在イケメン営業さん、及びOPEL側の担当おじさんでブレーメンハーベンということになりました。



で、私は、ブレーメンへ。



次の日の日曜日、OPELのおじさんは、折角だから鉄道で移動しようと、既にチケットを押さえてくれていました。



飛行機移動が続いた為、列車で景色を見ながらのんびり行きましょうと、粋な計らいをしてくださいました。



img20051217.jpg一行は、フランクフルトの駅よりドイつの新幹線と言われる列車に向かいました。

(※蛇足ですが、私たちが帰国後まもなく、これと同じ列車がブレーキ不良で大事故を起こし、

日本でも大きなnewsになりました)

さて、列車に乗り込みまず驚いたのが、サルーンカーのようにカウンターがあり、席の間隔が驚くほど広い!

飛行機で言うと十分ビジネスクラス以上!



ちなみにシートは、『RECARO』 製です(^^)



また、なぜか周辺に他のお客さんが見当たらず、聞いてみると本日貸し切りとのこと。(@@)



なかなか自分の金ではできませんぜ!



列車から見える景色は、まさに『世界の車窓から』

img20051217_1.jpg

流れる美しい風景を見ていると、次第に眠気が・・・・



しかし、ドイツ車って何でこういう風景に溶け込むんでしょうね。



何台か日本車も見ましたが、何か合わないんです。





さて、ブレーメンでこの高速鉄道を降り、ここからローカル線へ乗り換えました。

ブレーメンとは、『ブレーメンの音楽隊』で名前は聞いた事あると思いますが、向かう所はその港側ということで、『ブレーメンハーベン』という街だそうです。



そこは、ドイツ国内でも観光地らしく、到着すると、あぁいかにも旅行者って感じの人たちが。



到着後、OPELのおじさんがHOTELへ案内してくれて、早速食事に行こうということになりました。

そんなに慌てなくても、(まだ15:00前)と、思ったのですが、スペイン同様店じまいが早くもたもた

してると晩飯にありつけないのである。



こっちの人スタイルとして、昼は外で遅いランチで、夜は家で食事かバーで軽食+酒らしい。



最初に案内してもらったのは近くのショッピングモール内のピザ屋さん。でもいきなり入店拒否!

16:00までだそうで、ラストオーダー時間が過ぎていたとのこと。

仕方なく、戦車や小さな戦艦などが展示してあるミュージアム公園内にあるレストランへ。



一行、既に40分くらい歩きつづけて少々イライラぎみ。

でも、そのレストランは雰囲気も良く、味もボリュームも申し分ないところで、またOPELおじさんが店員にオーダーした席は港が見えるテラス風の席。

おじさん、日本に出張に行った時非常に親切にされたそうで、どうしてもみんなを持成したかったそうだ。

それで、店に入るまで歩かせてしまったと。



まぁおじさんも地元の人じゃないからしかたないですよね。



明日からは新しい作業場で仕事です。

おじさん、ドイツはやはりBEERですとばかり、お勧めしてくれたのですが、ワイン好きの私は迷わずドイツワイン。



おじさんごめんなさいm(_ _)m





さぁ仕事場は如何に!そしてOPEL本社の車は集まるのか?





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欧州 ドイツ編 [お仕事]

かなり早い時間に、スペイン サラゴサのHOTELをチェックアウト。



毎朝通勤で使ってたタクシーもこれが最終日になります。



ここで、軽く事件が(/o\)あぁ!



空港へ着いて一息ついていたら一人足りない!

3台に分乗して空港へ来たのですが、全員その一人がどこかの車に乗ってるものだと思い

気にしてませんでした。

いないのは知ってたんですが・・・・



慌てたのは引率の海外営業部の若手社員。

『急いで戻るしかない!飛行機の時間は・・・うぅー何とかなるか。よし、タクシー!』

と、手を挙げて止まったタクシーから、その彼が・・・



実はその彼、一行の中で、一番若かった(確か24歳くらい)んですが、彼は、

初めての海外でなのか、それとも食事が合わなかったのか、いや、いつものことなのか、



腹を壊していました。



タクシーに乗り込む時間になって、急にまたもよおしてしまい、トイレに入っていたところ置いて

いかれてしまったのです。



とりあえず、一同ほっとしたのですが、その彼が急に



彼:あっ



一同:(・_・)エッ......?



彼:・・・こっこれ・・・



若手営業:・・・||||(;-_-)||||



若手営業君、HOTELのキーを持ってやはりタクシーに乗るはめに



さて、HOTELのキーを持ってきたまま、一人タクシーに乗り遅れてきたお騒がせの彼、

着くなり、腹減ったと   ~(--;)いいねぇ若いってのは・・・・



先ほどの営業君も何とか時間には間に合い、全員無事、ドイツへ向かう飛行機に

搭乗。機内のかる~いサンドイッチを食べながら、途中眼下に広がるアルプスを見て大はしゃぎ

img20051209.jpg



朝が早かったので眠りたかったのですが、狭い機内だし、飛行時間的には2時間ちょっと。



それと朝の大騒ぎがあったんで、なんか目がさえて、結局、ドイツに着くまで一睡もせず

騒いでおりました。



しばらくすると、ドイツ上空にはいった(たぶん、そう言ってた)とアナウンスが入り、下を見ると

確かに高度を下げ始め、ドイツの町並みが目視できるようになってきた。



いかにもドイツ、というのかヨーロッパ的な建物が並び、鉄道の周辺だけ見ていると、何か

精巧な鉄道模型のように見えてくる。



そして、高度もかなり下がった頃、これからお世話になるOPEL本社が見えてきた。

img20051209_1.jpg

空港に近づくとはしゃいでいた一行も少し疲れた様子で、おとなしくなっていた。



営業君は、このOPEL本社工場が一番難所だという。



なぜなら、本来今回の不具合対策ツアーは13人全員で4ヶ所を行脚する予定だった。



スペインが終わって、ドイツがOPEL本社と別の場所、最後にオーストリアの予定だ。



ところが、スペインを立つ前に営業君が確認したところ、OPEL本社で修正する予定の車が

行方不明で集まっていないらしい。



台数的には10台ほどで少ないのだが、原因は現地に着いてから確認するしかないのだそうだ。

元々、今回の訪問に対し一番非協力的だったのが、どうもOPEL本社らしく非常にやりにくいらしい。



ドイツに着いた一行は、ここでお世話になる『OPELお客様相談室』のような部署にいる、かなり

年配のおじさんと、i社ドイツいけめん営業さんと落ち合った。

早速、今日泊まるHOTELへ案内してもらい、一息ついてから全員で、少し早い夕食にしようと

いうことになった。



そこで、先ほどのOPELに車が集まらない為、これから新らしいフォーメーションで対応すると、

困った思わぬ作戦が発表された!!





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欧州 スペイン作業編 [お仕事]

ほどなく、現地の担当技術者が現れた。

口ひげのあまり背の高くない30代後半くらいの方でしたが、私たちを見るなり

怪訝そうな顔怒り



ま、それぞれ適当な私服ですからね。何しに来たの?てな感じでしょうか。



とりあえず、入門許可書のようなものを発行してもらい、作業場へ案内してもらいました。

自動車工場って構内がかなり広いので、15分くらい歩かされました。(汗)



さて、作業場は工場のかなり端に位置した、車両が出入りできるほどの大きな入り口が

ある場所でした。

中には数台のリフトがあり、一番入り口側の3台のリフトを使うよう指示されました。



ところで、自分達の作業着に着替える場所ですが、冷凍室みたいな部屋があり、そこを使えと・・・



待遇悪!!



でも、仕方ないんですよね。今回はこちらの不具合を場所を借りて修正するわけですから。



その作業場は元々何の作業場かといいますと、約30名くらいの現地作業者が働いており

何台かのOPEL車が入庫しています。

聞くと、オプション品の取り付けや、ディーラーから回ってきた修理などを受け持つ工場のようで、

ほとんどナンバー付、つまり既に販売されたもののようです。

その一角をお借りして、約70台を1週間かけて修正します。

工具は事前に日本から送っていたのですが、数が少ない為効率よくできないのが難点です。





作業が始まると、現場の従業員が珍しそうに集まってきます。

一応、どんなことをするのか伝わっているようで、彼らもPROですから作業の腕前を見たかったんでしょうね。

そのうち、かなり近いところまで顔を出すようになり、あげくには口を出し、暇なのかどうか

手まで出す人まで。

おもしろい人達です。すっかり打ち解けてしまい、

肩身の狭い思いをしながら作業するよりは全然よかった。



昼食は、工場内の社員食堂で食ってくれといわれ、例の愛想の悪い技術者に連れて

いかれました。

食券のようなものを事前に買い、予算内であれば、サラダ、パン、メイン2品、飲み物が取れます。

しかし、これがまた



ハート旨~いOK



ボリュームも満点で、洋食が苦にならない人なら全然問題なかったです。

ただ、ごはんと味噌汁が無いと・・・てな人には辛かったようです。



初日は、作業場、レストラン、トイレ、構内、どこに行っても好奇の目で見られましたが、翌日からは

全く普通で、軽く挨拶なんかできたりして、なかなか快適でした。

気候も、朝夕は少し肌寒く感じますが、日中は20度前後で乾燥しており過ごしやすく、作業も

どんどんはかどる・・・・





はずでしたが、リーダーの作業配分が悪く、思ったように作業が進みません。

このペースでいくと1週間で全部終わらない可能性がでてきたため、残業することになり、また

担当作業を変えることになりました。

一番困難なエンジン上周りの作業者は、メンバー内推薦により作業が的確で早い人ということに

なりました。

それからというもの、作業が速い速い。



みるみるうちに作業が終わり、予定より1日早く終わってしまいました。



適材適所は大事ですね。



最終日には完成車置き場へ車を自走でもっていくんですが、現地の陸送スタッフといっしょに

2kmほど離れた場所へ車を運びました。

現地スタッフもおちゃらけた人が多く、新車なのにダート走ったり

サイドターンかましてみたり、



おいおい、それ売り車やぞ困った



と思いながらも私たちも真似したりして・・・

その後、現場の作業者の方が、車内の売店に連れて行ってくれて、そこで、日本では

売っていないOPELグッズ(これがまた社員価格で安い!)を買う事が出来ました。



最後は、そこの現場の方全員が見送ってくれて、全く言葉が通じなかったけど、なんかすごい

気持ちいい別れ際でした。





さて、次の日は、早朝からドイツに向けて移動です・・・



謎の東洋人一行は、同じように無事、職務を真っ当できるか。



ちなみに、写真撮影は禁止されてたのでここの写真は全くないです。





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欧州 スペイン到着編 [お仕事]

さて、腹をすかせた謎の東洋人13人は、ほどなくやってきた連結型の

巡回バスに乗り込んだ。

運転手はきれいなおねーさん。が、どんどん乗ってくる東洋人に、運転手も

乗客もかなりびっくりした様子だった。困った



もしかして乗車拒否されるかな?て、いうくらいすごい顔だった。

スーツでも着てれば、

『あー仕事で来たサラリーマンだな』

くらいですんだんでしょうけど、スーツ着用は2名のみ、のこりは気ままな私服。

なかにはドカジャン、ドカズボンもいた(^^;)



好奇の目を受けながら、向かうレストランには直ぐ着いた。

トイザラス、Mドナルド、31アイスクリームとホームセンターのような建物とスーパーのような建物があり

周辺は巨大なP。

しかし、ほとんどすでに店じまいで、Pも閑散としていました。



さて、教えてもらったレストランはちゃんと開いており、ぞろぞろと謎の13人は向かいました。

店に入るや否や、やはりバスと同じ様な視線。

後で知ったが、この地にはほとんど日本人なんか来ないそうで、時々中国人を見るだけだとか。

そりゃびっくりするわな。



でも、店員は最初はびっくりしてたが、直ぐさまここのシステムを教えてくれた。



セルフで好きなものを取っていき、最後に清算する。ステーキやチキンソテーなどは頼めば

その場で火を通してくれる等、親切に教えてくれました。



腹空き東洋人一行は、礼儀正しくトレーを持ち各々気に入ったものを取り、なんとか

夕食にありつけました。しかもかなりのボリュームでも安い!

先ほど好奇の目で見ていた他のお客も、席に付くころには全く気にしていない様子で

成田を出てからやっと落ち着いて食事が出来た、そんな感じでした。



腹も満腹になった一行は、バスで帰るほどでもないと、帰りは全員徒歩で帰りました。

HOTELに戻るとフロントマンが、『よく歩いてきたね』と・・・・



撃たれないでよかった・・・・



さて、翌日から早速仕事だったのですが、HOTELでの朝食はビュッフェスタイルで問題無く

取ることが出来ました。

前日に頼んでおいたタクシー(MBワゴン、OPELオメガワゴン、フォードモンデオワゴン)に分乗し、

これから1週間お世話になる、OPELサラゴサ工場へ向かいました。

ここは、その時まだ日本では発売されてなかった G ASTRAをメインに生産している

工場です。



さて、正面ゲートに着いた東洋人一行、入門する社員からも好奇の目を受けながら、

無事、工場内へ入り仕事ができるのか?





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世界の車窓から 欧州 [お仕事]

人生で2回目の海外業務。



それは、

欧州周遊 不具合改修キャラバン

でした。



約6年位前、某車のRVのエンジンに不具合があり、その修正を工場で引き上げ

実施しなければいけない業務がありました。

私の部署の業務ではなかったのですが、たまたまお手すき期間だった為、運良く

応援に出され、しかも普段の業務より、数倍も自分に適した業務。実際、それが

本職の作業者とほぼ同等のスピードと的確さで車を仕上げてました。



1台だけエンジン壊しましたが・・・・



この車、出したばかりのエンジンを新たに積んだんですが、リコールしなければいけない

販売台数を売る前でしたので、法的には自主改修でも問題なかったのです。

が、海外の某ドイツ車メーカーへのOEMとして販売しており、その改修が水際で間に

合わなかったのです。



ようは、船に乗って出航してしまった悲しい



そこで、国内販売分や在庫を修正していたメンバーから人選し、オーストラリア、イギリス、

ドイツ、スペイン、オーストリアに渡航して修正することになりました。



なかなか自分の金では欧州なんか行けないし、そんな休暇も取れないし、こりゃ

ラッキー。

ましてや作業者として行くんですから、かなり気軽です。



最初はスペインのサラゴサです。

フランスで1泊、次の日にトランジットし、14:00くらいに宿泊予定のHOTELに付きました。



フランスのHOTELでまともな食事が無く、朝食も食べれなかった為、到着した時は

全員腹ペコ状態。

ところが、そのHOTELもその日はたまたま結婚式の披露宴で貸切で、レストランは

休み。

疲れきった東洋人の団体を、披露宴参加のスペイン人は不思議そうに見てました。



img20051206.jpgそれでも何か食えないかと、HOTELのフロントマンに近くにレストランがないか尋ねました。

約2km先にショッピングモールがあり、そこのレストランならまだ開いてると。



まだ、16:00にもなっていないのですが、スペインは店じまいが早いのです。

しかも、この周辺は田舎の工業地帯らしく、写真の通りHOTELの窓からも

周辺は倉庫や工場ばかり。



とりあえず、2kmなら歩いていけるだろうと、HOTELを出ようとしたら、フロントマンがあぶないからバスに乗れと。

こっちは、てっきり車が危ないのだと思い、道路を見たが歩道もあるし、何言ってるの?

てな感じだったんですが、後で聞くと、拳銃もってるやつが歩いてるから気をつけろ!

だったそうです。





仕方無しにバスSTOPに並ぶ、謎の東洋人13人!

はたして、晩飯にありつけるのか?





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微笑みの国 タイ [お仕事]

急に仕事のことを書いてみたくなり、カテゴリーを

分けました。

つまらないと思われた方は他のカテゴリーをどうぞ(^^)



最近はどの会社もグローバル化が進んで、海外出張や出向など

当たり前になってきましたが、私も、以前の会社で2回ほど海外

勤務を経験しました。



最初は、1回目の海外勤務地、タイ の話です。



初めてタイのドムアン空港に降り立ったのは27歳のころ。

結婚して2ヶ月目くらいに一人ででした。



そのころは結婚すると海外という、悪しき風潮があり、例に漏れず行かされました。

最初は出張ということで、3週間だけでしたが、なんせ新婚旅行で初めて飛行機に乗り

初めて海外へ出ただけの人間でしたので、成田での搭乗手続きも不安だらけです。

そんな人間を一人で渡航させる会社もチャレンジャーですが。



空港にはその時赴任されていた、以前の上司が迎えに来てくれてたのですが、

HOTELへ送ってくれたら、

じゃーな!困った

で、さっさと帰ってしまったのです。

後でわかりましたが、この国特有の『おねーちゃん』のところに逝ったようですが。



何とかその日は、先に来ていた後輩君を捕まえ晩飯にありつけましたが、初日から

ひどい放置プレーです。(泣)



次の日、後輩君と会社の迎えのバンに乗り、初めての出勤です。

img20051206.jpg

一応、9:00始まりなんですが、バン出発は6:00です(@0@)

聞けば渋滞が凄いからだそうで、下手すると3時間コースだとか。

距離的には、すいていれば1時間かからない距離です。

日曜日の午前中は、写真のように空いてるんですけどね。



話の通り、舗装も適当な道路、整備されていないような道を、ディーゼルバンはエンジンを

フルで引っ張り

stop&goを繰り返しながら、そして、裏道だというスラム街を通り抜け、約2時間半で会社

に到着します。



その状態を3週間続けた訳ですが、

出向者はドライバー付の高級(タイでは)乗用車で出勤します。

課長クラスは2Lクラスの日本車セダン、部長クラスだと2.5Lくらいの欧州セダンになります。



仕事の中身は割愛しますが、休みの日にすることがなく、徒歩で炎天下の下

日本食売ってるスーパーに行くか、HOTELのサウナかプールにいくか、歩いていける公園

でボーとするかしかなく、退屈しました。



そんな中、時々、上司や他部署の偉いさんが夕食に連れてってくれるので、それは

楽しみでした。

エスニック料理は初めてでしたが、なかなか旨く、その他世界中の食べ物が安く食べれます。

日本食が一番高かったですが。



また、食事の後はお決まりで『カラオケ』です。

有名な『タニヤ』にもこの時初めて連れていかれました。おねーちゃんをおみやげにできる

システムも初めてしりましたが、流石に新婚だったので・・・・。



img20051206_1.jpg

現地のスタッフともかなり打ち解け、映画に連れて行ってくれたり、お土産ショッピングに連れて

行ってくれたりと、後半は何とか慣れてきました。

ちなみに映画は、タイ語字幕の『ライオンキング』を見ました。



アニメならなんとかなるだろうと・・・



最後の休暇には、同じく出張で来てた方と、安い日本語ガイド付のツアーに行きました。



写真の『戦場にかける橋』のモデルになったところや、ワット(寺院)や水上マーケットなど。

この時、現地の大学で教鞭をとられているという独身の45歳くらいの先生もいっしょだった

んですが、かなりストレスがたまっていたのか、久々に日本人と会話できたからなのか、

最初からハイテンションで、道中BEERをしこたま買い込み昼食時にはヘベレケになってました。



あまりの酔っ払いように、周辺のみやげ物売りのおばちゃん達から注意されるしまつで、

最終的には後半気分が悪くなり、車でずっと寝てました。





最後の日、出向されてた方が、帰りのことに気を使ってくれ、タイ人ドライバーにHOTEL経由

の空港行きを指示してくれたんですが、案の定というか、予定通りというか、ドライバーは

HOTELに付いたらそのままトンずら・・・・





一人、タクシーで空港に向かいました。



この1年後、長期でタイの仕事に携わることになり、延べ2年ほどタイと日本を行ったり来たり

しましたが、いいこともありましたが、やはり海外勤務は大変です。





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仕事のわらしべ4 [お仕事]

さー就職活動だぁー



でもこの時代便利になりました。web上でリクルート関係のHPで個人情報を登録しておくと

求人募集や、面接応募とかできてしまいます。



私もある会社で登録しておりましたら、『来ませんか?』のDMが。

33z.jpg



でもレベルが違いすぎる会社でしたし、TOIEC 600点以上とか求人広告に書いてるし、年齢も

募集年齢より1歳年くってるし、で躊躇したんですが、まー、受けるのはだーただし、受けて

みるか!

ということで面接に望みました。

今回は、新人の年齢ではないので、そのまま引き続き同業種での面接受験になったのですが

面接に来られた課長さんからは、生産技術職のにおいがぷんぷんとしており、話の節々に

『いぃ~よぉ、入社してよぉ~、いっぱい仕事あるよぉ~』

と、いやーなオーラが出ておりました。

前会社の面接時とは違い、なんかすごく不安がよぎりました。それは不合格になるかどうかの

不安じゃなく、ものすごい仕事量の中で忙殺されるのではないかという、恐怖でした。



結果は早かったです。その日の夕方にはMLで合格のお知らせがありました。

一物の不安を感じながら、給与その他待遇の大幅なレベルUPの誘惑に負け、入社を決めるのでした。



これが後で思わぬことに・・・・・・・

仕事のわらしべ3 [お仕事]

img20050702.jpg
とはいうもの、一応一部上場企業で、棚牡丹で入社したようなもんですから、まぁ働いてみましょうと、

働き始めたのですが、中途採用なので教育無し、現場研修無し、でいきなり即戦力ぅ~て、まだ同期に

なる人たちだって正式配属されていないのに、なんで即戦力になるのよぉー。

むちゃくちゃでした。



ちょうど、その会社でも新しい技術がてんこもりの設備を立ち上げたばっかりで、私の上司はその

担当、1日のうち数分しか席にはおらず、入社当日も夕方少し挨拶しただけでした。



あぁ先が思いやられる~と、いいながら、その設備担当で3年、その他の車種の設備担当で2年、その後

タイでの生産車担当で延べ2年ほどタイへ、等々、いやいやながらも12年も同じ部署にお世話になって

おりました。



結婚もし、子供も出来、マンションを購入し、さーこれから!て次期に、なーーーんかおかしい!と

考え始めました。



というのは、かなり会社が危なくなりはじめたのです。明日の仕事はなに?という状態が続き、希望

を持てなくなった私は転職を考え始めました。



でも、家庭が出来、長期ローンを抱えた身では、そう簡単ではないと約1年悩みました。

結局、会社が早期退職制度で退職者を募集しだしたので、これにのっかり思い切って転職することに

しました。

だって、こんな状態じゃ、残るのも、外へ出るのもどちらもリスクが高いんじゃないか?と私なりに

判断し、家族を説得し辞めた訳です。

仕事のわらしべ2 [お仕事]

さて、測量会社を辞めてしまった私は、どうしようか考えました。

まだフリーターなる言葉も無い時代、ぷーたろーという言葉はありました。

とりあえず、家の手伝いをまた始めながら新聞などで求人広告を見て過ごしました。



辞めて数週間後、某自動車会社の中途採用求人が目にとまり、落ちてもいいやという軽い気持ちで

申し込み、本社(東京)まで行きました。



募集していたのは開発(設計)と生産技術でした。私は、工場でのLINE物より実車にかかわる仕事

がしたかった為、面接でははっきりと、『生産技術はいやです!』と申し上げました。



まぁこれで不合格かな?と、帰りの新幹線でBEERを飲みながら、明日に予定していた天橋立

までのツーリングのことを考えてました。(不真面目)



とーころが見事合格し、私の行ってた大学からなんかは到底入社できないもんでしたから、棚から

牡丹餅、豚に真珠状態でした。

そして、1989年の5月、晴れて神奈川県民になり、某自動車会社へ勤めることになりました。

配属先は、・・・・・面接できっぱり断った、生産技術部でした(大泣)



仕事のわらしべ1 [お仕事]

私が仕事をやりだしたのは19歳、高校卒業後。

もちろん大学にも進んだのですが、夜学に進みました。ですから昼間は普通に仕事してました。



大学もいろいろ受験したのですが、結局、何をしたいかとか何を勉強するのかとか目的を見出せない

まま受験に突入した為、受かったところへ入学しただけなんですね。

それがたまたま夜学で、昼間遊んでてもしかたないということで、一応アルバイトと言う形でしたが

準社員みたいな感じで就職もしました。

でもこれが、人生において非常に有意義でした。



まず最初に就職したのが、ダムや水門を作っている大手企業の下請けで、見積り図面を作る会社

でした。

高校は普通科でしたので、製図なんか当然初めてなんですが、絵を書くのが好きだった為、特に

苦も無く従事でき、しまいには上司からそのまま大卒後就職するよう勧められてしまいました。



ところが、その会社は1年で辞めなければいけなくなりました。

父親が商売をしていて、そこを手伝ってくれと言い出しました。家はカー用品販売店を営んで

いましたが、あまり繁盛しておらず、バイト雇うなら家庭内企業で経費節減ということになり、

仕方なく、家を手伝うことになりました。これは結局卒業まで続けることになり3年、営業や

用品取り付け(こちらは大好きでしたのでよかったですが)等をやってました。



4年になり、就職活動を始めたのですが、第1希望は大手自動車メーカーでした。

ところが私の行ってた大学には推薦枠がなく、結局、自動車関係には進めず、偶然親のお店の

目と鼻の先の測量会社に勤めることになりました。

図面が書けるということで、決めたんですが・・・・



大学では自動車整備関係を学んでいた為、全くの畑違いではあったのですが、測量の為いろんな

ところへ車で移動するその会社では、家業の営業で走り回ってたことや、最初の設計会社での製図

技術も役に立ち、同僚より早く、自立(車と道具とアルバイト1名を与えられ、自分で現場に向かうこと)させてもらえました。



ところが、仕事が順調になり始めたころ、父親が手術を行わなければいけないような病気で入院して

しまい、私が就職してしまった為に母親と二人できりもりしていたお店をどうしようかということに

なりました。

とりあえず、会社が近所だった為、帰りに店により明日の注文や段取りを母親に指示し、そのまま

母親を連れて帰宅。朝は母親が電車で店に行き、一応店を開き販売と注文だけを受け、取り付け関係

は全部土日に回し、それを私が処理するというのを約1ヶ月続けました。



ようやく父親が退院間近という次期に事件は起きました。



近所のガソリンスタンドのバイトの兄ちゃんが、会社の社長に私の話をしたのでした。

それを聞いた社長は『おい!○○が副業してる!どうなってんだ(怒)』となり、いきなり退職か

家の手伝いを止めるかという話にまで発展しました。

もちろんバイトの兄ちゃんは悪気があったわけでなく、世間話的に『大変だけどがんばってるねぇ』

みたいなノリで話しただけなんです。

このGSは、お店の取引先であったと同時に、勤めていた会社の社用車指定のGSだった為、社長

も給油に来ていたし、バイトの兄ちゃんは私のことも良く知っていたのでそういうことになって

しまったのです。



親が入院してて、別に賃金もらってるわけではないのに”副業”と決め付けられ、退職するしないの

話までされてしまった為、こんな器量の小さい社長の下ではやっていけない!とこちらから辞表を

出しました。



そこから私の第二の転機が。